さだまさし幻の名曲たち 

 

グレープ時代に(1)わすれもの(2)せせらぎ(3)コミュニケーションの3枚のオリジナルアルバムを発売。そしてソロデビュー後は(1)帰去来(2)風見鶏(3)私花集(4)夢供養(5)印象派(6)うつろひ(7)夢の轍(8)風のおもかげ(9)Glass Age(10)ADVANTAGE(11)自分症侯群(12)夢回帰線(13)風待通りの人々(14)夢の吹く頃(15)夢ばかりみていた(16)夢回帰線U(17)家族の肖像(18)あの頃について(19)ほのぼの(20)逢ひみての(21)おもひで泥棒(22)さよならにっぽん(23)古くさい恋の唄ばかり(24)夢唄(25)心の時代(26)季節の栖(27)日本架空説(28)夢百合草(29)夢のつづき(30)すろうらいふすとーりー(31)恋文(32)とこしへ(33)美しき日本の面影(34)Mistを発売。これ以外にも、ライヴ盤やミニアルバム、シングル等を発売している。

また、こうやって発売されてきた曲たち以外に、ほとんど表に出てきてないけど、さださんが作り歌った曲たちが存在します。ここに載せている以外にも、桂木文の「前略、ごめん」や小柳ルミ子の「ほたる列車」等他の歌手が歌っている曲がありますが、これらは中古レコード店等で入手可能だと思います。

そして、なお@佐賀さんの情報(ご協力ありがとう(^o^))によりますと、変わったところでは長崎の中国菜館「江山楼」のイメージソングり「秘伝。江山楼全店の開店と閉店の際に流れているそうです。それから、川崎医療福祉大学の大学歌等の校歌や、東京都豊島区の区制施行70周年を記念した曲も作成。ただ、これらはそこに行けば今でも聴ける曲。以下に載せているのはそういう方法でも入手不可能な曲、そんな本当の意味での”幻”の名曲を集めてみました。あなたは何曲聴いたことがありますか?

大きな森の小さな伝説(ものがたり)

1980年8月19日。軽井沢プリンスホテルで行われた軽井沢音楽祭で発表。当時は、「関白宣言」が社会現象となる程の大ヒットを飛ばした翌年であり、「良妻宣言」とか「わんぱく宣言」等のパロディー曲も出てきた。そこでさだまさし本人がアンサーソングを作るとどうなるか、というコンセプトのもと、「お前と一緒になった後は...」で始まる、この「大森小伝」が作られた。将来生まれてくるだろう子供たちに「俺達の墓を乗り越えて歩け。新しい伝説のために」で締められる。ちなみにこの13年後、本当の意味でのアンサーソング(?)、「関白失脚」も作られたようですけど...。

2002年8月21日、この曲の編曲をした山本直純先生の追悼の意味も込めてマキシシングルとして発売された。幻が幻でなくなってしまいましたが、歌詞の一部をいじっており、軽井沢音楽祭版の「大森小伝」はやはり幻であることには変わりない。

 

ユー ガッタ コームイン!

まっさん唯一、と言っていいんじゃないかな、バリバリのヘビメタロック調です。1985年12月31日〜1986年1月1日にかけての神戸でのゆく年くる年コンサートのアンコールで披露。’85年に東京のルイードでの亀山社中(当時のバックバンド)のライヴ時に詩を書いた。「夕方 公務員」=「You got a come in」という、なんとなく英語っぽく聞こえるという発想から生まれた曲。まっさん曰く「これは耳で聴く音楽で、歌詞を読んでも意味はない」そうで。でも、それなりに歌詞になってますよ、ね(^^)。ちなみに歌詞は文藝春秋社刊の噺歌集5の70ページで確認可能です。

 

オホーツク遥かなり

関西ローカル番組で「らくごのご」という番組があった。客のリクエストの中からゲストが3つの語句を選び、その3語句を含む即興落語を笑福亭鶴瓶と桂ざこばが演じる、というものである。舞台で喋りながら、その先を考える。そんな神業のような進め方をする二人に毎回関心させられていた。さだまさしがゲストの回、落研出身のさだは作りにくい3語「北方領土」「ト音記号」「干瓢」を選んだ。

先攻の鶴瓶は「北方領土(きたかたりょうぞう)」(笑)という犯人がある俳句を残して逃亡している。その俳句とは「知床の 干瓢流るる トドの遠音」。トドが遠吠えをしているらしい(笑)。ちなみにこの俳句の「遠音が季語」..遠音季語..とうおんきご..ト音記号(笑)。犯人を団地まで追いつめたが、団地は広く棟がたくさんある。しかしベテラン刑事の推理で逮捕。北方領土だけに四棟(四島)にいた。

後攻はざこば。西宮からロシア大統領に北方領土返還を求めるために単身ヨットで乗り込んで行った若者。ヨットの名前は「ト音記」号(笑)。途中横浜に寄港し、干瓢入りの巻き寿司等を補給し、北方領土に着いたが言葉も通じず断念。あえなく西宮に戻ってきた。北方領土だけにひとー(秘島)苦労した。わずか数分でこれだけ考えるとは、二人ともやっぱり凄いぞ!

苦戦のあげく落語を終わらせた2人と司会者の酒井和歌子に「干瓢(「寒氷」はダメ)を含む歌をつくる」ことを強要されたが、さださんは、どうせ作るなら3語入れる、と。その翌月(1992年11月24、25日)大阪フェスティバルホールでのコンサートで披露。テレビで放映されたのは27日の近江八幡市文化会館での模様である。復員してきてすぐに故郷が外国になってしまった父は、干瓢をむくことに30代40代を過ごした。楽器一つひけずト音記号もかけない僕が父の歌を作ろうと決めたのは、母を亡くし老け込む父を勇気づけたかったから。「父の故郷は誰のものでもない、父のものなのだ」で終わるこの曲には「北方領土」という言葉は出てこない。しかし、その情景から容易に想像できる。干瓢という音の響きから、笑いにもっていくかと思いきや、これを聴いたざこばが涙するほどのすばらしい曲に仕上がっている。

 

美しい未来へ

2000年秋。全国の農業高校及び農業系学科を持つ高校で組織される日本学校農業クラブ連盟(FFJ)が結成50周年を記念してイメージソングを作ることとなった。その作詞作曲を担当(正式には阿久根治喜氏(宮崎農業高等学校教諭)の作詞。さだは補作詞&作曲となっている)したのがさだまさし。2000年10月26日宮崎・シーガイヤのサミットホールで行われた総会で初披露。おそらく人前で披露したのは後にも先にもこの1度だけでしょう。宮崎では、この歌の外に「北の国から」や「案山子」も披露。数曲歌ったところで、高校生が握手を求めて舞台に殺到したので、逃げるように退場。「あとはお金を払ってコンサートにきて下さい」(笑)と言いながら。以上、九州在住のS氏(FFJ宮崎大会の審査を担当)からの情報です。貴重な情報ありがとうございましたm(_ _)m

さて、残念ながらこの曲の存在すら知らなかったのですが、当時の勤務先、丹原高校に園芸科学科があり、生徒が「先生、さだまさしが歌いよるんよ」と教えてくれた。う〜ん、さだまさしと阪神が好き、といろんなクラスで宣伝しておくといろんなところで役に立つもんだ(^^)。曲は市販されていないが、学校にそのCDがあり、それをお借りして聴くことが出来た。「木を植えよう 夢を育て 豊かな森を水をこの手で守る」などさださんらしい歌詞が盛り込まれ、またイメージソングとして皆で歌うことの出来る曲調に仕上がっています。公共の電波等を通して流されていた前者とは比較にならない、超レアな1曲だと思います。

たとえば

2007年の小田和正のクリスマスコンサートにゲスト出演した我らがまっさん。その際に「どうせ歌うなら」と二人で盛り上がって作っていたのがこの曲。1番では過去の自分に向かって伝えたいことをまっさんが、2番では未来の自分に向かって尋ねたいことを小田さんが歌ってます。二人の高音が綺麗に絡むすばらしい曲です。

NIKUインファイヤー

2012年7月7日夜、日本テレビ系列「嵐にしやがれ」にゲスト出演した際に、『北の国から』を30分で作った、と話したことから曲作り講座に発展。嵐のメンバーが思い思いに作ったフレーズをさださんが繋ぎながら一部アレンジして出来上がった曲は、バーベキューをテーマにした夏の歌(^^)。最後の方に「ありがとう、さだまさし」という嵐からの感謝の気持ち(?)がこもったフレーズがあり、曲紹介の時に、ほぼやけくそ(笑)で叫ぶさださんの姿が印象的でした。曲後に「まさか自分でさだまさしと歌うとは思わなかった」「こんないい加減に曲を作ったのは初めてだ」と言ってましたが、15分程度で作曲したとは思えない楽しい感じの曲に仕上がっていると思います。

 

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